藝祭2015




「まなざす、みせる」 出展者インタビュー



小林百代(彫刻科2年)



今回の藝祭での展示について、説明をよろしくお願いします。

 今回は2つの作品を展示しようと考えています。
 1つめの作品は木彫の作品で、《こころ》というタイトルです。女の子をモチーフとして制作しました。
その作品にはモデルがいて、私が先生として働いている、絵画教室の生徒です。
その子はいつも明るくて元気で楽しくおしゃべりをするような子です。
しかし以前、彼女が自分の父親に殴られたり、暴力を振るわれていたということを知りました。
いつもあんなに笑顔で振る舞っていて元気な彼女がそんなことを経験していたのかと、悲しみと狂気を感じました。
自分や誰かを守ろうとする彼女の強い意志と弱い体に美しさをみつけ、そしてこの残酷さと無邪気さを内包する「子ども」という
存在に対して恐れを抱き、作品を作らなければならないと考えました。
 2つめの作品は、鉄で作った《追憶》というタイトルの作品で、過去をテーマに制作しました。
昔、小学校1年生のときに住んでいた街には、亡くなった父との思い出がたくさんあります。
はじめて自転車を覚えたり、学校の校庭でキャッチボールをしたり、自分よりおおきなものに憧れを抱いて、また恐れたり。
今の自分を構築した、かけがえのない記憶がそこにはあります。私は、いつも考えていました。
空を見上げてふと切なるはなぜなのか、街をまたぐ鉄塔をみて、どうして過去に戻りたくなるのだろうかと。
それは自分を築き上げてきた記憶が今の自分とリンクしたからではないかと思いました。
過去の私と今の私をつなぎとめてくれるのは、昔、空を見上げて思いを馳せた自分より遥かに高くたつ鉄塔なのだと。
そして、このことを作品にしようと考えました。



   
(左:「こころ」、右:「追憶」)



ふたつの作品は両方とも子供というキーワードで共通していますね。

 そうですね。多分、「儚い」というキーワードが自分の中で強いのだと思います。
子どもの頃を思い出すことが好きで、センチメンタルな気分になって、もうどうすることも出来ないことに対して傷ついて、
そして美化したりして、苦しいのだけれど過去を愛していたい、嫌な思い出だとしても残していたいという意識が強いです。
有志展にも子供の作品を展示させていただくのですが、子供というは誰しもが体験するもので、
またその「子供」の存在はいつまでも続くものではありません。子どもというのは時間という概念を顕著に表していて、
尚且つまだどの色にも染まっていないイノセンスの意味を持っている素晴らしい存在だと考えています。



「幼い」というテーマは藝祭の展示に限らず、ずっとお持ちなのでしょうか。

 そうですね。きれいなものを作りたいと考えたとき、花を連想したりすると、
それに子どもを足すことは出来ないかとつい考えてしまいます。
きれいなもの、かわいいものが動物に繋がるより、私は子供へと繋がってしまいます。



彫刻作品は素材と大きな関わりを持つと思うのですが、今回の展示作品で扱った木と金属という素材について何かお考えですか。

 木は柔らかく、あたたかみがあります。住宅に使われるなど、私たちの身近な素材です。
その素材を使って子供という、ちいさくて柔らかくて、健気なものを作るのはとても合っていると思いました。
そして金属は錆びさせることができるので、「時間」を表すには大変都合のいい素材だと思いました。
先ほど、お話したように《追憶》は過去をテーマにして作りたかったので、
作品を錆びさせることによって自分が考えるイメージを表現することができました。



(《追憶》の写真を見て)上下に分割された構成には何か意味があるのでしょうか。

 これは、上がいまの私の時間で、下が幼い頃の時間です。時間という概念を土台にして、
下の鉄塔は水辺にうつるように逆さまになっています。
意味としては、いつか見た鉄塔は、
幼い頃一体どんな風にみえていたのか、今の私にはおぼろげでしか記憶していないということをあらわしました。
そして上に立つ2本の鉄塔は今の自分と並列して存在する場所です。



配線がなくても鉄塔の間に見えない線があるようにも見えますね。

 人以外のものを作ったのは初めてだったので、自分にとってはチャレンジでした。
結果いい形になったと思います。



今回の木彫作品は女の子との出会いをきっかけに制作されていますが、
これまでにも実際に出会った人にインスピレーションを受けて作品を制作しましたか。


 そうですね。人から受けるインスピレーションというのがほとんどです。



人のどのようなところに惹かれるのでしょうか。

 瞳だけで殺されそうな、何を考えているかわからくて、宇宙みたいな怖さを感じるところに惹かれます。



それはやはり「幼い」というテーマとも通じるのでしょうか。
 そうですね。子供は何を考えているかわからないから惹かれますね。



(有志展に展示予定の作品の写真を見て)色彩について考えていることはありますか。

 色を塗るのが得意ではないのですが、今回はうまくいけたと思います。色彩の配置が難しかったです。
なるべく全体的にまとまって、形が綺麗にみえるように、作品の内面が持つ力を引き出そうと控え目な感じに制作しました。



展示する作品を選ぶのに際して、藝祭という場を意識したことはありますか。

 はい。作品を作る上で、やはり人に見ていただくので、誰が見ても偏見のない受け止めてもらえるような、
普遍的に美しいものを作りたいと考えました。



ちなみに今回の企画展のテーマは「まなざす、みせる」ですが、このテーマと作品の関係はなんでしょうか。

  私は「まなざす、みせる」というテーマは自由にとらえられると考えました。
私がまなざし、みつめている先は何か。ということについて「過去」であると考え、
そしてこのテーマで関わろうと思いました。



憧れる芸術家はいらっしゃいますか。

 イタリアのジャンロレンツォ・ベルニーニに憧れています。



ベルニーニに憧れるようになったきっかけはなんですか。

 高校生の時、美術をやっていきたいと思いつつも、美術のどの道で行くか悩んでいました。
そんなときに、テレビ番組でやっていた「美の巨人たち」のジャンロレンツォ・ベルニーニという彫刻家の紹介を見たんです。
そしたら、家族が見に行ってみようと言ってくれてベルニーニの彫刻を見にイタリアへ行きました。
そこでとても感動して、私も後世の人を感動させられるような彫刻家になりたいと思い、
それがきっかけで彫刻の道をきめました。ベルニーニは私にきっかけをくれた恩人であり先生なのです。



小林さんが普段使われている素材はどのようなものですか。

 2年生の後期からやっと素材が分かれるのですが、そこで選択したのは石です。



やはりベルニーニに影響をうけたからですか。

 そうですね。それは多いにありますが、石という素材とその美しさをいろんな面で発見してみたいと思ったからです。



彫刻が専門ですが、趣味などで絵画など描かれたりしますか。

 絵は少し描いたりします。



今後はどのような作品を作りたいとお考えですか。

 作家としてというよりも、ひとりの彫刻家として、宗教と関わりたいなと考えています。
私は教会が好きで、人との関わりが強い場所に彫刻を置けたらいいなと考えています。
例えばサグラダ・ファミリアで後世に残る彫刻を作りたいです。



普段、ご自分の作品をネットなどで発信されたりはしていますか。

 していません。写真よりも実物で見てほしいです。彫刻は工芸や絵画とは違って気軽に買えませんし、
家に置くこともスペースがないと難しいです。ですが、だからこそ彫刻の魅力を引き出すために合わせられた、
作られた場所があるので、是非写真だけではなく、足を運んでみてもらいたいのです。



藝祭は3日間しかなく、作品をずっと置いていられる環境ではありませんが、
だからこそ心がけたいということはありますか。


 作品をみる際に流してみるのではなく、立ち止まって見ていただけるものを心がけています。
人を作る理由もそこにあるのかもしれません。
やはり人がモチーフだと「似ているかな」とか「誰なんだろう」なんて思いながら見ますよね。
モチーフで人を扱う際はそのようなことを考えていました。



藝祭に来る人にぜひ伝えたいことはありますか。

 いろんな作品をご覧になる際、作品の意図や作られた形跡などをみて、
感じたり考えたりしてくだされば、作品にとってもその作者にとって光栄です。
作品が、見てくださった方と心からつながり、寄り添うことができますように。



では最後に意気込みをお願いします。

 頑張って励んでいきたいと思います。









小城開人(先端芸術表現科1年)



今回展示する作品について、おおまかでいいので説明をお願いいたします。

 もともと去年の11月ぐらいから、ツイッターに毎平日を目標に今日の自画像っていうタイトルで
作品を一日一つ制作してアップロードしていくっていうのをやっていて、今 100ちょっとぐらいそれがたまってるので、
階段に、一度に全部見れる様な感じで、展示しようかなと思っています。
毎日制作している作品はドローイングみたいなものではなくて、多分普通に自分の自画像を描いたのは一回ぐらいしかなくて、
自分の全身のホクロをサインペンで丸く囲ったりとかをやっていて。そういうのを展示しようかなっていう風に思ってますね。



「自画像」という言葉の定義として、自分の顔を描くということがまず第一に挙げられると思うのですが、
そこをあえてしないのは何か意図があるのですか?


 正直な話をすると、自画像をテーマにするというのは人に言われて始めた事で、実は自分で考えていなくて。
毎日作品を制作しなきゃいけないって決めたときにテーマみたいのがあるとつくりやすいなって制作しているうちに思ってて…。
(自画像というテーマが)身体と頭の動かし方の道筋になる感じがあって、自画像だからどんな感じに手を動かしても自分の作品っぽくなるし。
人に言われた事だけど、ありがたいテーマだと感じました。



自画像」というからには自己を反映させた作品になると思うんですけど、「自己」はどこにあると思いますか?

 答えになるかは分からないんですけど、一日一個作品をつくるというやり方は多分僕のタイプに合っていて、
長期間で詰まった作品をつくるというのがあんまりできなくて、それは僕の感情の持ち方にも近くて、
普遍的に何かを強く言うみたいなのは出来ないんだけれども、ちゃんと一瞬一瞬の中には思ったりしていることがあって、
それの小出しみたいなものが連続していったものを自分と言えたらいいなという風に思ってて…。
その連続性の中のギャップが自画像というか、正体って感じがするのだと思います。





ツイッターにあげられた作品の中で、特に気に入っているものはありますか?

 自分の部屋が二階にあるんですけど、庭にクロッキー帳を置いて二階の部屋から唾液を飛ばしたのが一番お気に入りです。
そんなに手間とかかけずに面白いなと自分で思えると嬉しいんで(笑)



ツイッターというメディアについて何か思うところはありますか?

 どうでもいいこととか、ちょっとのこととかつぶやけるじゃないですか。
それが残っていくことは良いというか、好きで。普段露出しない精神の部分が表面化されて残っていく場所として、面白いなっていう風に思います。



ツイッターでずっと制作してきたものを、藝祭という場所で出そうと思ったきっかけみたいなものはありますか?

 ぶっちゃけた話をすると、声をかけてもらったってのがあって。
ツイッターでやっているときに、並べて見てみたいですっていうことを言われたことがあって。
確かに並べたらどうなんだろうっていうのが自分でも謎だったので、それで見れる機会をいただいたので。



「まなざす、みせる」というテーマについて思うことはありますか?

 忘れがちなこととか、めちゃめちゃ大事だと思っていて。
大事なことほど絶妙な感じであったり、中途半端であったりするので、忘れやすいと思うんですけど、
それをどうやって後から想起させたり、持続させてたりするのかみたいなのは関心をもっています。
話をいただいてテーマを見た時、自画像とも合ってるなと思って…。
中途半端な状態のものをどう扱うのかみたいなのは一番僕にリンクしているのかなと思います。



普段はどういった作品を制作していますか?

 自画像シリーズもそうなんですけど、時間の流れを意識したものが多くて。
昔つくったものだと小学校6年生のときに書いた卒業文集を引っ張り出してきて、その上に透明な塩ビ板をのっけて、
その当時書いた文章を塩ビ板の上にペンでなぞって、なぞった塩ビ板の上に別の塩ビ板をのっけてなぞって…ていうのを何度も繰り返して、
最後全部重ねて層になって、どんどん字が読めなくなっていく、みたいな作品をつくったことがあります。



ご自身の制作に影響を与えた芸術家はいますか?

 好きな作家と聞かれると、いないって答えるか、杉本博司って答えるかのどっちかなんですけど、
杉本博司は劇場のシリーズとか、白いスクリーンの中で時間がミックスされてる感じがあって、時間をテーマに制作とかしているんで。
映画って始まりから終わりまで辛い事とか悲しい事とかあったりするんですけど、
あらゆる瞬間が後とか先とかなくなって全部ごちゃ混ぜになっていくのが、辛い事もないし悲しいこともないみたいで、
時間の見方みたいのが救いがある感じがして、あのシリーズが好きです。



お話をうかがう限り、「時間」というものがご自身の中で一つの大きなテーマとしてあると思うんですけど、
「時間」について何か思うところはありますか?


 時間の在処とかを考えるのが好きで、ある風景を巻き戻して行くことができたとして、巻き戻していった場所に過去があるのか、
それぞれの記憶の中にあるものを過去とよんでいるのか、実際のところどうなっているのかとか、その辺が気になっています。
巻き戻して行ったところに過去があるほうが僕としては都合がいいというか、ありがたいんですけど(笑)
ただ僕らがそこに辿り着けないだけで、過去は一応は存在しているっていうことを認識できたほうが、
救いがあるっていうかありがたい感じがするんで。



今回の展示を通して今後チャレンジしたいことなどはありますか?

 作品プランみたいな話をすると、一応自画像っていうテーマはあるんだけど、全部の作品は分離していて、
分離してもいるしつながってもいるみたいなのをつくりたいなって思ってます。
ツイッターにあげたものを展示した状態にするっていうのとちょっと近くて、それぞれがつながるっていうよりは、
一度に集合するみたいなつながり方なんですけど、その辺とか考えられたらよいのではって感じです。



では最後に、意気込みをどうぞ

 ちゃんと自分にとってつじつまが合った展示になったらよいなと思います。








光岡幸一(絵画科油画専攻修士2年)

     

今回展示する作品について聞かせてください。

  先月練馬の Space Wunderkammerという場所で個展を開いて、写真や映像を使ったインスタレーションと
、小さいブースにスナックを作って来てくれた方と一緒にお酒を飲むという作品を出しました。
この作品のきっかけとなったのは建築学科時代の友達から聞いた、同期にうつ病を発症した人が出たという話です。
そのことからこのインスタレーションを作って、その後に作ったのがこの平面作品なのですが、
これはうつ病のインタビューやリサーチワークを続けて作った映像作品を 100枚キャプチャした上にペイントしたもので、
これを今回展示しようと思っています。まだ時間もあるのでこのテーマで新作も作れたらと思います。



この作品の制作で苦労したこと、考えたことはありますか?

  今回扱ううつ病というテーマが大きい話なので、普段絵を描くのですが、絵を描いて内にこもるだけではなくて
外に開くような作品を作っていかなければという意識が今回生まれました。その外への表現の仕方にはじめは苦労しましたね。



うつ病への興味のきっかけを教えてください。

 以前から気になってはいたのですが、やはりきっかけは建築学科時代の友人の話ですね。
もちろんうつ病になった友人の同期とは面識がないのですが、友人の「あいつはうつになって会社休んで色々言われているけど、
よっぽどまともだと思う。こんなに忙しかったらみんなどこかで自分を麻痺させないとみんなすぐうつ病になっちゃうよ」
という言葉がずっと引っかかっていて、もっと知ることはできないかと思い先ほどの平面作品をつくりました。
平面作品には赤い文字が崩して書いてあるのですが、あれは実はこの友人の一言なのです。
最近はうつ病以外の自分の気になることをリサーチしようと思って…同時期に気になっているものは必ずどこかで関係していると思うのです。
その関係が見えてきたら面白いですね。



普段はどのようなものを制作していますか?

  建築学科から油絵科に編入してパフォーマンスをしていたのですが、最近は絵と写真ですね。
パフォーマンスの一つとして、1度東京の下宿先から実家まで2週間かけて徒歩で帰ったことがあるんです。
その中で家にあげてシャワーを貸してくれる人がいたり、コインランドリーで寝ていたらお金をくれる人がいたり、
お茶をくれる人がいたり…人と直接関わることの面白さに気づきました。
その時に親切にしていただいて感じた人々のつながりというのは今の制作、特に写真に大きく影響しています。



ご自身の制作についての考えを教えてください。

 いろいろな写真を撮ってみたり、写真と絵を大量に並べてみたり、絵の上にドローイングしてみたり…
そういう実験的なことの流れを作ったのが今回展示する先ほどの平面作品ですね。
行為の上に行為を重ねるということを意識した部分が大きいです。最近はいかに自分の内と外との幅を作れるか、
ということも考えていて、どんどん外に広がっていきたいと思っています。



藝祭の展示には一般の方もいらっしゃいますが、どのように見て欲しいなどありますか?

 そういうものはあまりないですね。ただ、なるべく一般の方に見てもらいたいというのはいつも思っています。
もちろん美術を知っている方に観てもらうのも嬉しいですが、
美術を知らない人に観てもらうという作り手側の緊張感もあり自分の作品がどう見られるか楽しみです。



最後に展示への意気込みをお願いします。

 いい作品を作れるように頑張ります!








ウインドウを閉じてお戻りください。





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