辻愛沙子 スペシャルインタビュー

辻 愛沙子

辻 愛沙子

Asako Tsuji 
株式会社arca CEO / Creative Director

社会派クリエイティブを掲げ、「思想と社会性のある事業作り」と「世界観に拘る作品作り」の二つを軸として広告から商品プロデュースまで領域を問わず手がける越境クリエイター。リアルイベント、商品企画、ブランドプロデュースまで、幅広いジャンルでクリエイティブディレクションを手がける。2019年春、女性のエンパワメントやヘルスケアをテーマとした「Ladyknows」プロジェクトを発足。10月に実施したLadyknows Fes 2019では、500円で受診できるワンコイン婦人科健診を実施し話題に。2019年秋より報道番組 news zero にて水曜パートナーとしてレギュラー出演し、作り手と発信者の両軸で社会課題へのアプローチに挑戦している。

どのようなきっかけでクリエイティブディレクターになろうと思われたのですか?

 最初は「将来クリエイティブディレクターという職に就くぞ」と考えて業界に入ったわけではなかったんです。当時は広告企画のチーム編成が、CD(クリエイティブディレクター)がいてAD(アートディレクター)がいて、デザイナーがいてプランナーがいて、という構造になっていることも正直そんなに知りませんでした。ざっくり「広告クリエイターになりたいな」って感じだったんですよ(笑)。インターンを経験して知ったのですが、それ以前は下手したらCDって仕事を知っていたかどうか......。

 大学(慶應SFC)に入学して、藝大や美大だったらどんなに良いか、とたぶん100回は思いました(笑)。
 もしかすると1〜2年生だったからそう思ったかもしれないんですが、大学に実制作的な場が少なくて、あまり刺激を受けなかったんです。色んなものが幅広くあるのがSFCの良きところでもあり悪しきところでもあると思っていますが、例えば事業構想の授業も、実際に会社を起こして事業をやってみることで学びになるものなので、どうしても机上の空論だなと感じることがすごく多かったんです。
 一方でデザインの仕事も、企画の場合は「世に出してみないとわからないこともいっぱいあるんだな」っていうのを大人になってから知って、実際に手を動かして"つくる”のがなんだかんだ最強だなと個人的には思ってるので、とにかくそれをやらないといけないと思いました。

 元々ファッションがすごく好きだったので、とにかく"つくる"を1番体感できる場所にいこうと思い、アパレルのプレスを1年間やっていました。実際にパタンナーさんの横で仕事をしていたとき、服なんて最も"つくる”ことに近しい仕事だと思っていたんですけど、ブランドにもよると思うんですが、私の場合はゼロからものをつくるという作業がほとんど無かったんです。若者向けのブランドだったので「このブランドの、この服の、このボタンは変える」とか「ここをオフショルにする」など元ネタありきでものをつくるというのがほとんどだっていうのを目の当たりにして、「世の中に出てるもののほとんどってそういう風に作られてるのかなぁ」となんとなくモヤモヤしてしまって、1年間でやめる、ということがありました(笑)。

 大学を卒業したら、電博・ADKを受けると思っていたんですけど、たまたま広告系の会社でインターンをして、2社目の今のグループでようやく広告の構造を知りました。
 インターンをしていた1社目の広告代理店では、みんなが一度は見たことのある広告を作っているレジェンドのようなECD(エグゼクティブククリエイティブディレクター)が設立した会社でした。当時、打ち合わせに参加するとECDがいてCDがいてプランナーがいて、様々なクリエイティブの話をしているのを横で見たときに、恥ずかしながら初めてひとつの広告を作るにも役割分担があることを知ったんです。企画は企画、デザインはデザインといった大きな括りではなくて、もっと細分化されているんだなと学びました。「へぇ、これがCDの仕事か〜」と思っていたんですが、そこですべて理解したわけでもなく、自分で初めてCDとして動くようになって本当に色々なポジションの人が関わりながら色々な案件をこなしていくんだと理解しました。

 このようなこともあって、つくる仕事はやりたいけど、多趣味だしやりたいことも興味もいっぱいあるし、どういう風に絞ったら良いのかも、何が仕事になるのかもわからない状態だったのが、大学2年のときでした。ただ、映画もCMもアニメも色々見るほど映像もすごく好きだったので、映像の仕事に就きたいと思っていました。じゃあなぜアニメや映画などの道に進まなかったのかというと、広告って良くも悪くも不特定多数に届くなと思っているからです。映画はそれを見ようと思わないと目に触れないじゃないですか。だから広告って嫌われるものでもあると思うんですけど、伝えられるメッセージもあるんじゃないかなと思います。「1人でも多くの人に自分がつくったものを見て欲しい!」と、広告にいきたいなって思ったのは、そんな動機でした。

Tapista 外観
Tapista 外観

 CDを明確に名乗り始めたのは、3年目の頭だったかな。それまでも仕事の領域的にCDの仕事もあったんですけど、業界の中では少し役職的な使われ方をする仕事でもあるので、名乗って良い職業じゃないのかもしれないなぁと思いしばらく肩書きを何にするか問題で相談しながらやっていました。ソーシャルプランナーを名乗ったり、プランナー/アーティストの名刺時代もあったりとか、色んな名刺をこれまで作ってきましたね。
 指名の仕事が増えてきたので、チームで仕事をする意味でも、クライアントさんに対する責任の所在の見せ方的な意味でも、CDをちゃんと名乗って、実態と名前を合わせるという覚悟をしようと思い、「クリエイティブディレクター」と名乗り始めました。意外と行き当たりばったりな感じなんです(笑)。「いくぞ!」って意気込んで山を登ったというより、やりたいことをやっていたら今の道に行き着いた、という感じですね。

行動力が素晴らしいと思いました......! お仕事をされる上で、辻さんご自身の強みだと思われていることは何かありますか?

 広告クリエイターに限った話かもしれないんですが、広告の領域ってある意味ちょっと特殊というか、圧倒的に商業の世界なんです。アートとデザインの違いじゃないですけど、つくるのは自分だけど主語は自分ではなくクライアントさんになるんですよね。
 例えばここにあるスポーツ飲料を宣伝するCMを制作するとします。見た人たちはスポーツ飲料のCMとして認識するけど、クライアントさんは辻が出した企画と思うし、青春ストーリーなCMを作って女子高生がそれを見たら、自分の青春と思って自分に投影して見る。主語が色々複雑化するわけですよね。そうすると色んな人の視点が絡んできます。デジタルの広告はターゲットを絞ってつくるときもあるんですけど、特にテレビCMは広く届ける、広く伝えるっていうのが広告のある意味での王道の役割でもあるんです。そうなった時に、これまでクリエイターが自分のスタンスを明確にするっていうのは結構やりにくい世界でした。だから広告の世界では、黒子に徹する美学っていうのがあったりしますね。

 私の場合は、ジェンダーとかフェミニズムとか社会課題の解決、みたいなところが自分のモチベーションの原点になっています。
 色んな商材を扱うとか色んなクライアントさんとお仕事をするとか、会社員として仕事をするっていうことを考えていくと、個人としてのスタンスをあまり外に打ち立てにくい世界なんだろうな、と思っています。最初は明確に自分のスタンスを表明するということが幸と出るか弱みと転じるかわからないながらにやってたのですが、結果的に明確に意思表示をしてきてよかったなと思っています。自分が大事にするものを個人として表明したっていうのが、強みになれたのかなと思ったりします。『news zero』に出演したこととかもそういうところから巡り巡ってきてるので、個人として表立つクリエイターであることは広告業界でいうと珍しいタイプかもしれません。

LADYKNOWS FES 2019
LADYKNOWS FES 2019

辻さんのやりたいことが定まった、具体的なタイミングがあれば教えてください。

 今も別に定まっている訳じゃなくて、なんなら定めたくないと思っているんです。手法や業界に縛られたくないというか。ただ、共通する軸みたいなものはある気がしています。広告が本業ですけど、ジェンダーのこととか自分がモヤッとしたことをちょっとでも解決したいというのが軸にあるんです。「最終のアウトプットの形をやりたいこととして捉える人が世の中多いのかなぁ」と思うんですけど、その形は意外とこだわっていません。そのとき伝えたいものをベストな形で伝えることをやり続けていきたいなと思っています。
 なので、メインを広告に絞ったのは、たまたまに近いですね、巡り合わせだったりするので(笑)。就活して選択肢を広く持っていたら、もしかしたら違う道に行ってたかもしれないです。インターンをしてみて、adot(エードット)へ入社するつもりは正直なかったんですけど、「あ、この人達と働きたい」って直感的に思って、大学在学中になぜか入社する流れだったので、だいぶ行き当たりばったりなんですよね。

 前の2つの質問の答えと近しいことかもしれないですけど、「これだ!」って決めて逆算して道を考えることは意外とやっていません。そのとき絶対にこれを伝えたいみたいなものがあってやっています。『Ladyknows』というプロジェクトを立ち上げた時も、広告業界ではクライアントさんありきのお仕事がメインではあるので、自社でプロジェクトをやるということはそれまでやっていなかったんです。
 私が少しずつメディアに出ていく中で、「若いのにすごいね」「女の子なのに仕事頑張ってるね」とか言われることが増えました。それと同時に、「なのに」って何ですか、女の子が仕事を頑張ってるのって変なことでしたっけ、みたいなモヤモヤを感じることも増えました。そういうたまたま知ったことを何とか解決したいとか、何かアクションをしたいと思っている中で、ジェンダーイクオリティ(ジェンダー平等)がセンシティブな話になっていること自体おかしなことではあるんですけど、私達が取り組んでいるのがそういうテーマではあるので、広告の世界でダイレクトに伝えにくいテーマだったりするんですよ、様々なステークホルダーを抱える大企業にとては。じゃあ自分達でプロジェクトをつくって、そこにスポンサードしてもらえれば、企業からしたらリスクじゃないし主語は私達になるので、自分たちが伝えたいメッセージをより伝えやすい形になるよね、と思っています。

LADYKNOWS FES 内観
LADYKNOWS FES 内観

 自社プロジェクトをやろうと思って『Ladyknows』が始まったことから、私は逆算をしない、動物的なタイプなんだろうなって思うので、一言で答えるならば、たぶんやりたいことが定まることは一生無いんだと思います。もしかしたら急に「海外だ!」って言って海外に行くかもしれないですし、「広告は全部やめだ!」って言ってNPOを立ち上げるかもしれないですし、それくらい自由で柔軟にありたいし、多分仕事をいっぱいやってるのも、そういう新しくやりたいこととかアウトプットの手法を見つけるために色んなものを死ぬ気でやってるんだろうなぁって、思います。

 アウトプットの形を決めないというのは新鮮に感じます......。
 定めない、というのは意識的なことですか?自然とそうなったのですか?

 そうですね。むしろ、コンプレックスから来てるんじゃ無いかなって今ふと思いました。それこそ美大を出てるわけでも無いので、作り手としてはかなり亜流の道を歩んできていて、明確に「これだったら誰よりも技術がある!」って思えずに来たんですよ。絵も好きだし音楽も好きですけど、それは『好き』の範囲内ですね。「絵うまいね!」って言われたこともありますけどそれを仕事にするっていうのとはまた違う話じゃないですか。そういう感じで、今もそれは変わってなくて、当時からそのままやることが大きくなった感じです。なので手法にこだわれる人って、明確にそれが武器になる人だと思うんですよ。私の場合はそうじゃなかったので悩みがすごくありました。大学の時も、自分に何が出来るんだろうみたいな。伝えたいこともいっぱいあるし、でもずっとモヤモヤしていて、いつもここじゃないどこかを求めてる感じでした。

 チームでする仕事なので当然、私より色んなデザインの技術を持っている人たち、何かが長けている人たちと一緒に仕事を進めていきます。じゃあCDの仕事って何?というと、社会のどこに課題があるのかを見つけたり、方向性を見定めたりっていうのが一番大きな仕事ですね。仕事で考えると、社会に出てものをつくるときって1人で全部完結してつくることってほとんどないと思うんです。最終的なアウトプットには色んな人達が関わるので、そこに抵抗なく、むしろありがたく色んな人達と一緒に物がつくれる仕事なのは、天職だったんだろうなって思います。

 あともう一個、博報堂ケトル取締役の嶋浩一郎さんというレジェンドがいるんですけど、その方が仰っている“手口ニュートラル”という言葉があって、CDの誰しもが考えてなきゃいけない言葉だなと思っています。先ほどお話しした「アウトプットの形にこだわらない」っていうのをすごくシャープに言語化していくと、"手口ニュートラル"になると思うんですよ。例えば、人が来ないテーマパークに若い人たちを呼びたいっていう問題があったとして、それにはテレビCMの手法もあるしインスタグラムの広告という手法もある。けれどそもそも若い人たちに来てもらった時にその人たちが楽しめる場所があまりないから、園内に写真が撮れる場所を作りましょう、と。それで私はウォールアートを描いたりしてたんですけど、「もはやこの仕事は広告なのか?!」と思いました(笑)。でもそれが一番効果があると思うんだとしたらやってみるっていうのが本来のこの仕事なのかなと思うので、タピオカ屋さんをつくってみたり、はたまたすごく広告的な広告をつくるときもあったりして、その都度ベストな形は違うんだなっていうのを、この仕事をやっていると感じてるんですよね。
 だから絶対的な能力を持った上で"手口ニュートラル"が出来る、自分でつくれるけどみんなで一緒につくるということが出来るって人が一番強いと思います。私もそうなれるように頑張んなきゃいけないんですけどね(笑)。

Genic Studio in OWP
Genic Studio in OWP

 会社arca(アルカ)設立にはどのような背景があったんでしょうか?

 arcaの立ち上げ自体はまだ一年も経っていないんです。1年目でコロナかぁ......と思いました(笑)。立ち上げの背景も本当に行き当たりばったりですね。

 もともとadotグループに入社して、1年目の終わりぐらいから指名案件が増えてきたんです。先ほどお話ししたチームのようになったのは最初からではありませんでした。PRのレジェンド、嶋浩一郎さんが仰った"手口ニュートラル"という言葉は、広告と一重にいっても、CMや新聞広告などの手法に囚われず、都度都度そのプロジェクトにおけるベストの手法をニュートラルに考え選択するという意味です。まさに、私のキャリアは"手口ニュートラル"でできているなと思います。ウォールアートをつくる時に、「ハートで土台が波の形をしている鏡を置きたい!」、「ここに波をつくりたい!」と言っても、会社の中で波をつくったことがある人って当然いませんし、みんなプロジェクトをチームでやっている中で1人で端っこでクラフトするというように結構個人でやってた感じがして、とても孤独だったんです。みんな良い人なので「何か手伝うことある?」と言ってくれるんですけど、「ここの塗装が......」など細かい指示になってくるので、どうしていこうかなと思っていたのが最初の1年半でした。だからチームで仕事をする憧れがある一方で、なんでこんなにみんなとやりたいと思っているのに、自分にくる仕事ってみんなでやれるものが少ないんだろう、って悩んでいたんですよ。
それこそデザイナーさんと一緒につくったものでも、世界観が強いので「辻仕事」みたいに言われることが多くて、外から褒め言葉として言われたりするわけですよ、「辻ちゃん案件良かったね」と。最初はもちろん嬉しいですけど、「みんなでやってるのになぁ......」ってモヤッとする感じがありました。

Genic Stugio in OWP
Genic Stugio in OWP

 だんだんと指名案件が増えてきて、当然1人で出来ることだけだと仕事を回していけなくなっていました。映像やグラフィックをやる領域が増えてくる中で、adotグループ全体でチームで仕事をしていくことが増えてきて、「チームとしての見られ方をちゃんとつくっていかなきゃいけないんだな」っていうのを思い始めていたんですよ。今もまだチームでやるってことに憧れてて、でも個人の露出が増えることで指名案件を頂くっていうところもあって葛藤もあるんですけど、そこの板挟みに悩みながら仕事をしている感じがあります。
 もともとグループの中でかなり毛色の違う仕事をやっていて、会社のポートフォリオを並べると、色味でどれが辻の仕事かわかるほどでした。それだけ毛色が違うとしたら分社化した方がわかりやすいというか。例えばうちだと、グループ全体でクリエイティブごとに特色がある会社が分社化しているような構造になってるんです。そんな中でも、「みんなで一緒にやりたい!」とチームに憧れてるところもあって拮抗していたんですけど、さっきお話しさせて頂いたスタンスを明確にするっていうのを迷いながら一個ずつやっていったら、やっていきたい方向性が固まり始めたので、そのタイミングで会社をつくったっていう感じですね。その方が何を大事にしているのかがわかりやすいかなって思いました。同じ価値観の人が集える場所になったらいいなと思ってつくった次第です。

 辻さんが大学時代にやっていて良かったと思うこと、やっておいた方が良いと思うことはありますか?

 やっておきたかったな、と思うのは読書です。今も読みたいけどまとまった時間をとるのが難しいので、一週間くらい休んで本をひたすら読むってことをしたいです。小説などを読むのももちろんなんですけど、人文書とかビジネス書とか一般教養的なものを読んでもうちょっと視野を広げたいなとも思います。深めるっていうのは大人になってからでもできるけど、そもそもベースの知識を知らないと、何を知らないかもわかってないっていうところですごく時間がかかることが多いので、興味のない分野でも死ぬほど本を読むっていうは、学生時代の特権だったんだな、っていうのをとても痛感しています。

 やっておいてよかったなと思うのは、今もなんですけど当時原宿カルチャーが大好きで、ラベンダーの髪にツインテールとかしていたんですが、そういう熱狂的にハマった自分の"ルーツ"になるカルチャーに出会ったことです。親からすると心配になる訳ですよね、「突然髪の毛が金になったぞ!」、「そんな民族みたいな靴を履いてどこに行くのやら......」と(笑)。しかもピアスとかもバチバチにあいてるので、「それで社会に適合できるのかしらこの子は」みたいに思われていたと思うんですけど、でもその時はそれが仕事に繋がるとか思ってなかったですし、当時自分がうっとりしてた世界観が、直接的じゃないとしても、自分がつくるアウトプットにとても影響しているなって思います。
 なので、ゲームでもカフェ巡りでも好きな音楽でもなんでもいいけど、大人に止められるほどに熱中するもの、例えそれが、いわゆる「真面目だね、偉いね」って言われないことだったとしても、それを死ぬほど好きになって深掘る、合理的じゃないものにハマること、自分のルーツとか素養を培うことってその時の特権なんだなと思います。新しい好きなことに出会うのって結構難しいですよね。やらなきゃいけないこと、やりたいことは見つかるんですけど。

 今のお話と通じるかもしれませんが、影響を受けた人や作品があれば教えて頂きたいです。

 細かく色んなところに影響を受けてるんだろうなとは思うので、人生のロールモデルって意外とないんです。広告の分野だけどテレビで話すとか、SNSで発信するとか、一個の業界に縛られずにやってきた色んなことが自分になるし、業界や領域を越境していくっていうのが自分のテーマになっていると思います。ロールモデルのように綺麗じゃない、亜流の獣道を進んでるので、「この人みたいな人生を歩みたいな」という人は意外といないんですよね。一つの場所や人に囚われず、良いなと思った要素は柔軟に取り入れていきたいなと思います。

 真近で影響を受けたものを挙げるならば、椎名林檎さんがアルバムを出された時のインタビューは刺激的でした。前から椎名林檎さんがすごく好きなんです。あるインタビューで「ようやく自由になった」みたいなことをおっしゃっていて、「はて?」と思ってその記事を読んでみたら、「若いときは、若い女性ということをすごく背負わされる」と書かれていました。「椎名林檎さんでもそうなんだ」と思いながら読んでいたんですけど、「歳を取ったからこそできる自由がようやく出来るようになった」、ということもおっしゃっていたんです。歳をとることってネガティブに捉えられやすいですけど、人生においては、越境し続けた先にまだ見たことがない人生があるなと思ったりしているので、歳を取ればとるほど、とれるアウトプットの形が変わってきたりとか出会える人も知ることも幅広くなったり、とにかく自由になれるんだなって思うんですよ。大人たちって、「子供の頃の方が自由で」とか「大人って大変で」と語りがちですけど、大人の方がよっぽど自由で、歳を取れば取るほどできることが増えていくっていうのが、すごく希望だなぁっていうのを最近感じて嬉しかったし、そういう風に次の世代に言える大人にならなきゃダメだなって思った次第です。

 原宿文化が好きだったことに関しては、AMOさんというモデルさんがいるのですが、この方が完全に私のルーツですね。あとは、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル・ガン・エレファント)っていうバンドも好きで、どちらにも上品さとパンクさがあるんです。そのバンドでいうと、ゴリゴリの邦楽ロックで、浮ついた事は一切やらない、無駄にエフェクターとか付けない!生音だ!って感じで直球ストレートな強さがあって。演奏の時はスーツを着ているんですよ。そういうところがすごく好きです。AMOさんもすごくファンシーでガーリーなファッションなんですけど足元はドクターマーチンとか、甘さだけじゃない格好をするんですよね。そういう甘さと毒っけの両方を合わせ持った人になりたいです。好きな物は大体そんな共通項がある気がします。

Lady knows
Lady knows

 
 やりたいことをひとつに絞れない、という悩みが個人的にあったので、色々なところに価値を置いて良い、というのが聞けて嬉しかったです。

  これが正解かはわからないですけど、正解になれるように頑張ります(笑)。

 これからコロナ禍での活動になると思いますが、辻さんの活動や広告業界のこれからはどうなっていくと思いますか?

 とれる手法の数が限られてて色々制限は出るんですけど、クリエイターって制限があった方がつくれる物が面白くなったりすると思うんですよね。そもそも広告っていう手法自体が制限効きまくりで、アート作品ではないので、そういう意味で広告クリエイターにとっては挑戦的な時代だなと思います。特に最近は辛いニュースばかりなので、クリエイターが社会に提供できる価値がちょっとでも高まったらいいな、と思います。そうやって辛いことを突破できるものを作らなきゃいけないと思うので、演出だけじゃなくて、社会にとっての価値とか意味とか、役割とかをすごく求められる時代になっていくんだろうなって思ってます、社会派クリエイティブって言ってるんですけど。「美しいだけじゃないものなのかな」と思いますね。

辻さんから見た美大生や藝大生の印象とは、どのようなものでしょうか?

 実際、デザイナーでいうと、美大藝大卒の人と社会に出て接するようになって、以前思ってたよりも感覚的じゃない人たちなんだなっていうのを、失礼ながら初めて知って反省しました。「美しさは感覚だ!」みたいな人達じゃない、特に商業デザインの世界は、下手したらプランナーより企画できるアートディレクターとかゴロゴロいるというか。そういう本質的な課題解決が出来るし、最終的にそれを自分の手でゴールまで持っていけるアウトプットの力があるって一番最強じゃない?って思っているので、今からでも美大に行きたいなって思うくらいですね、入れるかは別として(笑)。つくれるし、そもそも自分の手を動かして作れるっていうのは何よりも尊いことだと思うので、すごい人たちだなぁと思います。

 今年の藝祭のテーマが「the」なのですが、辻さんにとっての「the」とはなんでしょうか?

 なんだろう......逆にどんな感じに見えてます?(笑)。そうですね、これって広告業界に限った話かもしれないですけど、クリエイティビティって従来は課題解決の手法として有用な物だったと思うんですけど、時代が便利になりすぎて課題が減ったというか、あらゆる不自由ってだいぶ解決されてきてると思うんですよね、技術的な意味で言うと。じゃあクリエイティビティは?というと、もうちょっと人間的な課題を解決出来るものがクリエイティビティなんだろうなっていうのを最近すごく思っています。クリエイティビティって言うと、楽しい、ファンタジーみたいなイメージが結構あると思うんですよ。社会全体でデザインとかクリエイティブっていうと、もっとポップでロジカルじゃないものって捉えてる人が多いと思うので。一言では言えないんですけど、クリエイティブが、社会をより良く出来るものだっていうのを証明したいんだろうなってすごく思っているんです。なので、私の中での「theクリエイティブ」っていうのはそういうことになると思います。

 辻さんのこれからの夢や目標は、ありますか?

 いっぱいありますね(笑)。常にその時やりたい事やるべき事に全力でいたい、その繰り返しなので、5年後の自分なんてわからないな、と思います。それこそ1年前は、自分が報道番組に出てるとは思っていなかったので、そういう風にして、現時点では全く想像出来ない1年後を常に歩む人生でありたいなっていうのはすごく思っています。そういう色んなことが手に入ったりやるべきことが見えてくると、「大人は自由じゃない」とがんじがらめになってくるとか、守るものができると自由じゃなくなっていくので、できることが増えれば増えるほど、そこに縛られずできる限り自由でありたいって思います。自由を求めすぎる感じの性格なので、固めずにいきたいですね(笑)。

 大きく具体的なことで言うと、これは野望ですっごく青臭いことを恥ずかしげもなく言いますが「広告クリエイター初のノーベル平和賞を取りたい」と思っています。どれくらい先になるか考えちゃいますね。

Genic Studio in OWP
Genic Studio in OWP

 最後に、藝大生に一言をお願いします。

 すごく才能がある人が集まっているところだと思います。社会全体だとビジネスと切り離されて考えられるというか、理系文系に社会が二分される中で、そこじゃない別レイヤー、のようにすごく特殊な人達という捉えられ方をすることが多いと思います。けれど、クリエイティブの領域にいる人たちが社会にとってできることってすごく多分にあって、アウトプットの形に正解はないと思いますが、特にその中のトップレベルにいらっしゃるのが皆さんではないでしょうか。自分が持っている技術や自分の存在自体で、自分が何をしたいかと同じくらい、またはそれ以上に、何を社会に提供出来るのかということに重きを置いて考えるクリエイターが増えたら嬉しいです。また、そういう課題解決をしたいという優秀なグラフィッカーがいたら是非一緒に仕事をして欲しいなと思っております。そのうちarcaも採用を増やしていくと思うので、いつかこれを見てくださったどなたかとお会い出来たらいいなーなんて思います。そういう会社に出来るように準備しておきますので、頑張ります。

 ありがとうございました。

 取材: 石綿 ひよ莉
小松崎 碧美 
西田 菜史 
山口 美菜子
渡邉 桃  
構成: 西田 菜史